少年KABUKIの白虎隊ロスをこじらせて福島県に行ってきた話

昨年、『ちびっ子お笑い七変化 少年KABUKI』という公演(通称、少年KABUKI)が国立文楽劇場でありました。

関西ジャニーズJr.の同期で同い年の長尾くんと道枝くんの記念すべき初座長公演でした☆+*:.。.*:+☆

 

冒頭に数曲ショーがあってから出演者全員の口上があり、その次に白虎隊の寸劇がありました。

鶴ヶ城が燃えているのを見て、生き恥を晒すならと切腹を決断する白虎隊士たち。仲間の介錯をし、自らも刀で首を切り自害する長尾くん…………

(自刃の演技をする長尾くんが未だに私の脳裏に焼き付いています)

私が歴史に興味があるタイプということもあってか、たった3分ほどでしたが少年KABUKIの中でも白虎隊のシーンは特に印象に残りました。

 

 

 わりと再演厳しいって、そんな~のちゃんと分かってるって♫(笑)

…というわけで!!!来ちゃった!!!!!

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会津若松駅

会津若松は、白虎隊が所属した会津藩があった場所です。

色々な背景を長尾くんの説明はもちろん自分のうろ覚えの知識と想像で補いながら観劇しましたが、さらに!それ以上に!記憶の中のあの白虎隊のシーンを味わいたくて!!!!!!初めまして福島県

 

 

ちなみに長尾くんがしていた説明はこんな感じ。

🐧「徳川の世が続いていた!しかし時代は動き出した!開国を唱える官軍との間に戦いが起こったのです!錦の御旗を掲げる官軍の狙いは会津藩会津の武士たちは次々と倒され、残ったのは!少年達からなる白虎隊だけでした!!!」

腹から声を出す長尾くんめちょめちょにかっこよかったなーーーーーーーーヽ(;▽;)ノ

 

少しだけこのセリフの用語解説をすると…

・官軍:天皇陛下の軍を指す。新政府軍。

・錦の御旗:天皇陛下の軍を意味する。権威の象徴。

会津藩:幕末に京都守護職を任されていた。\会津中将お預かり浪士隊、新選組!/というわけで、有名どころでいうと新選組も配下だった。当時の藩主は九代目松平容保

・白虎隊:当時の会津藩は軍の体制をフランス式に変更し、年齢別に「玄武隊」「青龍隊」「朱雀隊」「白虎隊」を結成。白虎隊は16~17歳までで組織された軍隊のこと(実際には志願して13歳~の少年たちもいた)。いずれも武家の家の男子たちだった。飯盛山で自決したのは白虎隊士中二番隊。

なんで官軍と会津藩が戦っているのか、というのを話し始めるとめ~~~ちゃくちゃ長くなるので割愛。詳しくは『戊辰戦争』でググって!www

 

 

白虎隊士たちの背景として、会津には有名な什(じゅう)の掟がありました。会津武士の子どもはこのようにしなければ、ならなぬという掟です。

一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ

一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ

一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ

一、弱い者をいぢめてはなりませぬ

一、戸外で物を食べてはなりませぬ

一、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ

ならぬことは ならぬものです

この掟は9歳までのうちに子ども達から子ども達へ伝えられたそうです。

そして10歳になると日新館という藩校(学校)で、勉学・武術・心得など多くの教育を受けました。日新館は江戸末期から戊辰戦争前まで日本最高峰の教育機関だったとか。

こうして会津藩の子ども達は小さい頃から武士道に馴染み、義の心を育んでいたんですね。

 

また、会津藩には会津松平家の初代藩主が定めた『家訓十五か条』がありました。

その第一条が「大君の義、一心大切に忠勤を存すべく、列国の例を以て自ら処るべからず、若し二心を懐かば、則ち我が子孫にあらず、面々決して従うべからず」。

大君とは徳川将軍家、列国とは他の藩のことを指します。徳川家への忠誠は絶対的なものであり、他藩の考えなどに踊らされてはいけないし、これに背くものは私の子孫ではないからそんな主君には従うな、というものです。

これらと幼少期からの武士道教育もあり会津藩の武士たちはみな徳川幕府のために尽力したのだなと理解しました。

 

 

…さて、話は白虎隊士中二番隊に戻ります(笑)

元々は白虎隊は戦場へは行くはずではなかったらしいです。

そりゃそうやな、、、(;ω;)

でも、城下町に続く母成峠を新政府軍に取られた会津藩は白虎隊の出陣を決定します。

城下町の戸ノ口原での戦いに呼ばれた白虎隊のうち、士中二番隊は指揮官とはぐれてしまいます。

そのまま子ども達だけで夜を明かした士中二番隊は、当時17歳だった篠田儀三郎の指揮のもと新政府軍との銃撃戦になります。新政府軍の性能のいい銃と比べて、白虎隊が持っていたのは大人たちの残り物の銃で飛距離や威力に大きな差があり、死傷者が続出します。

 

そして退却することになった士中二番隊は見晴らしのよい飯盛山へ。

ここで飯盛山のお写真……と言いたいところなのですが、ございません!普段から写真を撮る習慣がないとこういうときにさり気なく撮れなくて困りものですね。

 

飯盛山に向かうために白虎隊士中二番隊が通ったのがこちらの洞穴。

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この洞穴は当時全長140m。

傷を負った仲間を支えながら水に潜ってこの洞穴を通ったそうです。

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白虎隊が辿った道

さすがに洞穴を通るのは出来なさそうだったので、飯盛山の階段をズンズン登って自刃の地へ向かいました。

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可愛いらしい像がありました。表情は心なしか悲しそう…。

全体のアングルないんかいって感じですが、ないです(笑)

周辺が墓地ということもあって撮りにくくて…(><)

説明文も添えておきますね。

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さて、像が向いている方向を見てみます。

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いい眺めですね。でも肝心のお城はどこやねんってなりました。

拡大して見てみましょう。

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見えました~!斗亜ちゃんが「鶴ヶ城が燃えている!」と言っていたあの鶴ヶ城です。

ただ鶴ヶ城はまだこの時は落城しておらず、官軍が城下町に火を放っただけだったと言われています(1ヶ月後に落城)。自分たちが生まれ育った土地が戦場になり、燃えている。その光景を見た若き少年たちを思うと胸が苦しくなります。それでも官軍と戦うか、ここで自刃するかが話し合われ、敵に捕まって殺されるのは主君や先祖に申し訳ないと考えていた彼らは「武士らしく死のう」と自刃を決意するのです。武士道を生きていたんですね。

(少年KABUKIでは分かりやすく、心の拠り所だった鶴ヶ城が燃えているのを見て白刃を決意することになっていました。)

 

ちなみに篠田儀三郎は咽頭を切ったらしいので、長尾くんは彼の役をしていたのかもしれないなぁ…と思いました。

(そこまでキッチリした配役があったとは思いにくいですが。)

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彼らは最期に、どんな気持ちでここからの景色を眺めたのでしょうか…。

 

自刃したものの偶然通りかかった藩士の妻に助けられて、一命をとりとめた隊士が1人だけいました。その隊士が、この白虎隊の悲劇を後世に伝えたそうです。

 

 

山道を再び戻って、自刃白虎隊十九士のお墓参りへ行ってきました。

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お墓自体を撮影するのは控えさせて頂きました。

近くにお線香も売られていたので、購入。

線香立てには、沢山のお線香が立てられていました。

 

近くにはイタリアからの石碑もありました。

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白虎隊の精神は多くの外国人にも感銘を与えているようです。

 

少し階段を降りたところには白虎隊記念館がありました。

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記念館の中は撮影禁止でした。展示の数も多いしマニアックでしたね。白虎隊が実際に自刃に使った刀とかも展示されていました。

また、白虎隊だけではなく、新選組会津藩の貴重な展示が盛り沢山でした。

あと、山下智久くん主演のドラマ『白虎隊』ではロケ地でもあったみたいですね。当時のテレビ雑誌の切り抜きと、台本も展示されていました。

個人的に分かりやすくてよかったと思ったのは、立体的な当時の地形モデル(笑)。外にボタンが付いていて、場所を知りたい地名が書かれた横のボタンを押すとモデルのその場所が点灯する仕組み。白虎隊士たちのお家がどこにあったのか、とかも知れて興味深かったです。だいたい鶴ヶ城の周辺でした。当たり前だけど、150年前この土地で生きていた人たちなんだなあ…って実感がわいたというか。やはり今の平和な日常にもっと感謝しなければいけないな、と思いました。

🐶「なぜ、子どもたちが死ななければならない。若き命を捨ててはならぬ!」

少年KABUKIでは長尾くんたちが自刃した後に駆けつけた白虎隊士の役(斗亜ちゃんの兄という設定)だった道枝くん。道枝くんがそう言った後、雄叫びをあげるとともに銃声が鳴り響き暗転して、白虎隊の寸劇は終わりました。

 

 

飯盛山のあとに鶴ヶ城にも行ったので、折角なのでお写真を。

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天守閣の中は郷土博物館になっていて会津の歴史や文化が紹介されていました。会津観光の際はぜひ立ち寄ってみてください。

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現地に行ってから知ったのですが、会津安土桃山時代には上杉家が治めていたこともあるそうです。

(ご存知ではない方のために説明させて頂くと長尾謙杜くんの謙は長尾家出身の武将、上杉謙信が由来です。)

そして2018年は戊辰戦争から丁度150年の年だったそうです。すごい。

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充実した1日となりました(≧◇≦)ぼっちだったので自分のペースでまわれたのも最高だった!すごく勉強になったし、こんな機会をくれたみちながちゃんにありがとうな気持ちでいっぱいです♡

歴史的名所もいっぱいあってまだまだ行けてない所が沢山あるし、ご飯もお酒も美味しかったので、またいつか行きたいな~!